オムニバス・レコード

不特定多数の執筆者による、無記名ディスクレビューブログです。執筆者の数はネズミ算式に増えていくため、ブログ開設者も執筆者の全容を把握していません。

Cornelius / Mellow Waves

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新作リリースを待ち望んでいた人、デビューから時が止まっている人、フリッパーズ・ギターは好きだけどソロは通っていないという人、これまで彼の存在すら知らなかった人。

プレイボタンを押すなり、あらゆる立場のリスナーの耳を瞬時にリフレッシュしてしまう得も言われぬキック一発で幕を開ける、コーネリアス11年ぶりのアルバム。

本作には、salyu × salyu、METAFIVEをはじめ、前作から11年の間に彼が参加してきたどのプロジェクトの楽曲よりも、静かで、内省的で、現行のポップミュージックとしてはストレンジな肌触りの10曲が収録されている。

 

思えば2006年の「SENSUOUS」が出たときも、2001年の「POINT」のときも、そういう感覚はあった。特に2000年以降のコーネリアスは、その時々のポップミュージックの枠を更新する作品を提示してきたし、今作でもその革新的な側面は変わっていない。

以前と比較するなら、久々に歌モノの楽曲が増え、やわらかなアコギの音色と親しみやすいメロディがたゆたう後半は、ソロ作ではあまり見えてこなかった、彼のグッド・メロディ・メイカーとしての表情が豊かに花開いている。

が、それ以上に、本作から自分はこれまでにないほどの異形感を感じてしまう。

その理由は、過去作にあった、音楽そのものに対する無邪気かつポップなユーモアが影を潜め、代わりにこの世界に対する、ゆるやかな、しかし確実な諦観が通底しているからだ。

 

象徴的なのはアルバム冒頭に配された、先行シングルでもある「あなたがいるなら」「いつか/どこか」だ。

「あなたがいるなら」はほぼキャリア初と言っていいほどのストレートなラブソングだが、坂本慎太郎による歌詞世界の背後には、なにかを愛するという行為そのものを「なぜ」と問い直さずにはいられない、人間という存在が宿命的に背負う不確かさ・儚さが前提として横たわっている。

小山田圭吾本人の作詞による「いつか/どこか」では、アルバム中もっともアグレッシブなアンサンブルに乗せ、よりはっきりとした無常観が綴られている。ジャケットデザインや、ライブでも使用されるだろうMVも、色彩豊かだった過去作に比べ、彩度の低いモノクロの世界観で統一されている。

入り口がこの2曲である以上、アルバムを聴き進め、タイトル通りメロウに波打つ心地よいグルーヴに身を任せても、そのまま遥か遠い、自分すら消えてしまうようなところへトリップしてしまうような、どこか薄ら寒いような感覚を覚えてしまう自分がいる。

 

しかし、では本作は、ある種のネガティヴネスが強く反映された作品なのかと言うと、まったくそうではない。本作で聴けるストレンジなサウンドと、小山田のボーカル、またいくつかの楽曲で聴けるギターソロには、確かにいま・ここで新しい音楽を鳴らすということに対する、ひとりの音楽家の生々しい渇望ときらめきが宿っている。

そしてなにより、11年ぶりのアルバムという勝手にどこまでもハードルを上げたくなるタイミングの作品にして、世に対する諦観を露わにし、得体のしれなさをたたえながらも、驚くべきことに、ここからまだどこにでも行けそうな、自然体かつ和やかな風通しのよさも同時に発揮しているのだ。

 

彼はきっとまたいつか、新しい音楽を届けてくれるはず。アルバムを聴き終えて最初に感じたのは、そういう予感のようなものだった。

コーネリアスの表現は、11年の歳月を経て、ひとまずここに辿り着いた。そしてこれからも、いくらでも変化し、続いていくのだろう。そんな予感に満ちたアルバムを聴くことができるのは、音楽を愛する者として、なにものにも代えがたい幸せだ。