オムニバス・レコード

不特定多数の執筆者による、無記名ディスクレビューブログです。執筆者の数はネズミ算式に増えていくため、ブログ開設者も執筆者の全容を把握していません。

吉田ヨウヘイgroup - paradise lost, it begins

paradise lost, it begins

シティポップとはなんぞや。

軽めのインディーポップがシティポップとひとまとめにされ始めたのは2015年くらいだったと記憶している。cero、Yogee New Waves、AWESOME CITY CLUB、といった、ジャンルもバックボーンもばらばらなアーティストたちが、この「シティポップ」の言葉で纏められていたような、そんなおぼろげなものだけれど。 吉田ヨウヘイgroupも、そんなシティポップの名の下で括られていた。僕だって正直そういった目線で(耳線で?)彼らの音楽を聴いていた。2015年にリリースされた「paradise lost, it begins」は吉田ヨウヘイgroupによる3枚目の作品だった。

ファズの効いた、エッジィなギターのサウンドと管楽器の音がここまで調和するとは考えたこともなかった。全編、おそらくはz-vexのファズファクトリーではないだろうか、特にPVにもなっている#3「ユー・エフ・オー」ではその殆どを金属的なファズの音で鳴らしている。

その攻撃性をもったギターと柔らかな管楽器の音の中で、吉田ヨウヘイgroupは「生活」を歌っている。よく使う路線の駅前はどこも似たようで辟易し、イライラし、知り合いに最近連絡が取れなくて心配したり。その小市民さが言葉として表現される。 スーパーで安売りの魚肉ソーセージと玉ねぎを買って帰る、歩行者信号が点滅して、慌てて走り出す。そういった普遍な生活が攻撃性をもった楽曲に乗ると、そこにはまさに「パラダイスロスト」な、ある種の倦怠感が感じられる気がする。これは郊外生活では持ち得ない、都市生活特有の感覚だろう。都市はモノに溢れている。だというのに、個人の生活では上記のような普遍的生活に収束していくのだ。そこに虚しさだったり、冷たさだったり、倦怠感を感じるのは贅沢だろうか? 向井秀徳が「冷凍都市」と歌ったような、そんな激しさはないけれど、だからこそ、彼らが歌う生活はリアリティがあった。

しかしてこのアルバムは、その生活をネガティヴに歌ったものではない。ポジティブに歌った、ポップスのアルバムだ。#1「Music,you all」で、彼らは「無駄なことなんて何にもないってどこがで読んだり言われたりしたけど/ただ僕が知りたいのは一つだけ/きみに近づいているかっていうことだけ」と歌う。生活をするなかで積み重ねたもので、大事なものにアプローチし続けていくことをポジティブに歌うから、彼らの楽曲は光を持っている。

シティポップとはなんぞやと冒頭で問うた。薄曇りの日に差し込む日差しのような、彼らが歌っている風景こそがシティポップであると、僕は強く思う。