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オムニバス・レコード

不特定多数の執筆者による、無記名ディスクレビューブログです。執筆者の数はネズミ算式に増えていくため、ブログ開設者も執筆者の全容を把握していません。

コロニー / 麓健一

コロニー

 

一曲一曲、ボーカルが同じようで、違うようで、同じだ。ドラムが効いていてビート感が強い曲の中で朗々と歌う声も、弾き語りの曲でか細く歌う声も、ひとつの響きをかたくなに持ち続けている。赤ん坊のような響きだ。生命力と、今にも死んでしまいそうな脆さとが、ぶつからずにそのままある。

唯一独特の響きがあるのは、『Fight Song (山荘と水着)』。ノイジーなギターとドラムにあてられたかのような絶唱から、骨と肉を硬く保った一人の男の狂気が匂い立ってくる。他の曲に通底している甘やかさではなく、倒れかけている建物のようなエロスに満ちた歌声。

アルバムの前半の楽曲におかしな推進力を加えている、スッパマイクロパンチョップのドラムもさることながら、ホソマリの弾く鍵盤がすばらしい。バンド編成でのスタジオ録音の曲のみならず、ほとんどの曲を美しく彩っている。石を磨く水流のような寄り添い方で。このアルバムの(ずっしりとした感動の重みとは対照的に)軽やかな響きは、鍵盤のきれいな響きとリズムによるところが大きい。

このアルバムでは幸せが歌われていない。むしろ不安こそがこのアルバムを貫いている。「鈍感で幸福であるくらいだったら、敏感で不幸でいたい」と端的に言い切ったのはマツコ・デラックス。なるほど、敏感な人ほど不幸を掬い上げやすい。幸せよりも不幸の方が感じ取りやすいのだから。しかし、一曲一曲が、心を平たく、冷たくさせるのに、アルバム一枚を聴き終わった後、少しだけ心が楽になっている。それはこのアルバムが放つ不安の波が、僕の不安の波と打ち消し合って、心を静かにするからだ。

2011年、kitiレーベル、48分14秒。

sal blakey / COMBO PIANO

sal blakey

 

99年作。鍵盤奏者・渡邊琢磨のソロプロジェクトの1stアルバム。後に結成される内橋和久・千住宗臣とのトリオが有名かと思うが、本作でもリトル・クリーチャーズの3名をはじめとしたお歴々がバックを務めており、演奏はとてもスリリングだ。トランペットで参加している「Shuichiro Sakaguchi」というのはダブル・フェイマスの坂口修一郎?

 

渡邊氏のライブを観たことがある方ならご承知だろうが、この1stでも演奏のピーキーさは遺憾なく発揮されている。全体の基調色は暗く、室内楽的にゆったり聴けそうな出だしだが、2曲目で脈絡なく挿し込まれる絶叫でちゃぶ台がひっくり返されると、それから後はいつ起こるとも知れぬ爆発に身構えざるを得なくなる。その緊張感が良い。

再生時間は26分と短く、ジャズとラテンの要素をうまく抜き差しする構成に酔っているとすぐに終わりを迎えてしまうが、それだけに何度も聴ける。アルバムの起伏を掴んでから無意識に聴く時にも、能動的に聴くのとは別の気持ちよさがある一枚。

音楽そのものと盤の経済的価値をイコールで結び付けるのは愚かだが、このアルバムがディスクユニオンで数百円で手に入るところに、音源を探すことの妙味を感じてしまう。

さよならキャメルハウス / WATER WATER CAMEL

さよならキャメルハウス

 

2009年にリリースされたサードアルバム。タイトルにある「キャメルハウス」とは、メンバー3人の共同生活の場であり制作スタジオでもあった一軒家の名前だそうだ。アルバムの最後を締めくくる表題曲は、まさにその生活が終わるころに作られたらしい。

バンドメンバーが寝食を共にして、その家で音楽を作っていた生活が終わりを迎える。そんな体験をしたことのない私には、美しささえ夢想できるエピソードだ。きっと当人たちの心には、私の想像の及ばない寂しさとか切なさがあると思う。

 

背景をどこまで重んじるべきかという問いに、公式のような解答はない。

WATER WATER CAMELの生活に、大きな変化があった。彼らに近かったものが、彼らから遠ざかった。そういうことを、私たちはどこまでおもんぱかって作品に接するべきなのか。大なり小なり、どんな芸術にもまとわりつく要素だ。ともすれば、本来なかったはずの魅力を、勝手に付け足してしまわせるもの。

『さよならキャメルハウス』のみならず、本作の前後の作品も、よく澄んでまっすぐに聴こえてくるボーカルと、楽器による彩りとのバランスが素晴らしく、繰り返しの鑑賞に耐えうるものだ。繰り返し聴ける音楽には2種類あると思う。聴くたびに発見があるものと、聴いても聴いても色褪せない同じ感動があるもの。私にとって、前後の作品が前者にあたり、このアルバムは後者にあたる。

 

#1『運命のアラサー』から、いきなり心を揺さぶられる。ミュージックビデオも制作されたリードトラックだ。私が観たライブでは最後に演奏されていたが、フィナーレとしてけちのつけようのない情感があった。人生の辛苦を飲みながら未来の祝福を信じる歌詞は、いつも強く響いてくる。#2『甲州夜曲』、#3『明日はポルトガル人のように』と軽妙な曲が続いたあとだから、#4『喜びは食卓に哀しみはトイレに』という「あなた」に投げかけられる歌は、ひときわ沁みる。そして続くインスト曲・#5『春風』では、音の種類と数が増していく構成に聴き入りながら、優しく峻厳な詞がないために一息つける。「一息つける」と思うからこそ、折り返し地点のように思える曲だ。#6『まとも』はスローなテンポと管楽器の音色によってゆったりと聴けるのに、「どうせ君も僕も死んじゃうわけだしね」なんて物騒で哀しい一節が現れる、一筋縄ではいかない曲。いつもここで「このアルバムも終わりに向かい始めている」という思いが芽生え、#7『瞬きさえできずに』の直線的なアプローチで、その思いは加速する。ワークショップか、友だちとパーティの一環で作ったような可愛らしいつくりの#8『Birthday』、ハープとアコギの音がことさら柔らかな#9『Family』に落ち着きを感じたのも束の間、煽情的なエレキギターから始まる#10『それもこれも風の気まぐれ』が、切れるまぎわの電球のように光る。そして#11『さよならキャメルハウス』で、アルバムは終わりを迎える。

『運命のアラサー』や『喜びは食卓に…』『Family』は、一曲を選んで聴くことも多いけれど、『さよならキャメルハウス』だけは、アルバムの流れでしか聴けない。私はこの曲を聴いている間、電気の絶えた家でロウソクを灯して共に過ごす人たちの姿を思い浮かべる(それがWATER WATER CAMELの皆さんかどうかは自分でもよく分からないし、多分どうでもいい)。暗い部屋に、その周りをぼんやり照らすだけの火がいくつか灯っていて、何人かの人が話すでもなく話す様が思い浮かぶ。それは、カセットというか昔のラジカセのような音で響いてくるギターと、ふんだんに取り入れられた環境音のために浮かぶ、安直なビジョンかもしれない。それでも私は、一度も見たことのないキャメルハウスの夜がこんな風だったら素敵だと少し思って、きれいだけど哀しい想いに駆られる。私が私の美しいと思うものを彼らの音楽にくっつけたからきれいなのではなく、WATER WATER CAMELが彼らの気持ちを盤に彫り込んでくれたから、私も哀しいのだ。何回か疑ってかかってもみたけれど、とりあえずもう、そういうことにしている。

10th Anniversary SMAP SHOP! / SMAP

 

 

昨年末に解散したSMAPがキャリアの最後にリリースした楽曲、つまり現状における「SMAPの最新楽曲」を聴けた人は、実はごく限られている。というのも、CD店・ネットショップなどで一般流通した作品ではないからだ。

 

SMAPは2005年から期間限定ショップ「SMAP SHOP」を毎年末年始に実施していた。
そこでは、その年のコンサートやTV出演時の衣装展示や、店内でしか見られないメンバーのコメント映像、年ごとに設けられるコンセプトに沿ったアートワークで展開される各種グッズなどが販売されていた。

その中で毎年の恒例となっていたのが、2007年から登場した通称「39CD」だ。 

これは、その年のファンの応援に対してメンバーからの感謝=サンキューという謝意が込められた<3分9秒・390円>という1曲入りのCDで、中身はSMAPメンバーの断片的な台詞(例えば「ありがとう!」や「サイコー!」のような)をコラージュしたインストナンバーである。

そう、SMAP現時点でのラストチューンは、この「39CD」としてリリースされたトラックなのだ。

 

さて、この「SMAP SHOP」は年末年始に開催されるのだが、東京のみの小規模な会場1ヵ所、しかも屋外の吹きさらしにて先着順で整理券が配られるという極悪システムにより、ファンは極寒(時には雨や雪が降る)の中、始発レベルの早朝から列に数時間整列しなければならない。

さらにやっとのこと受け取った整理券に指定された時間に再度集合しそこからまた並び、ようやくグッズ購入へとたどり着くという、西遊記における天竺よりも遠いのではないかというキツすぎる道のりが課せられていた。

で、俺も例に漏れずその苦行を甘んじて受け入れていた。その理由は他でもないこの「39CD」を購入するためで、なぜなら毎年豪華なトラックメイカーが起用されていたからだ。

例えば、小西康陽中塚武中田ヤスタカ菅野よう子、ナカコーなどなど。名うての音楽家たちがSMAPのボイスサンプルをネタに3分9秒のトラックを作る。こんな贅沢な遊び企画があるだろうか。 

しかし、そんな特殊な条件だったからこそ、この「39CD」は参加したトラックメイカーの実力をかなり残酷に浮き彫りにしてしまうものでもあった。名指しこそしないが、中には正直二度聴くに堪えないものもあったりする。

まあジャニーズのやることなので、鬼のような進行で制作せざるを得ない状況があったのではないか、という想像もできるが、仮にそうだとしてもいい作品もちゃんとあるので言い訳は許されない。実はかなりシビアな条件による“トラック創作コンテスト”とも言える企画だったのだ。

 

結局「SMAP SHOP」は誕生10周年を迎えた2015年末の開催をもって終了となり、「39CD」の歴史もそこで潰えることになった。最後のトラックメイカーとして指名されたのは、tofubeats。彼こそが、現時点でSMAPのラストチューンを手がけた音楽家ということになる。

tofubeatsは、2015年リリースの椎名林檎の作によるシングル『華麗なる逆襲』のリミックスで初めてSMAP仕事に携わる。そのリミックスは端正にまとめられながらもまだまだ牙を隠している風だったのだが、その後「39CD」として制作した『10th Anniversary SMAP SHOP!』は、彼のエディットセンス&スキルが爆発した、本当にすばらしい仕上がりになっている。

3分9秒という尺のなかで、ポップスとしての起承転結・ダンスミュージックとしての機能性・アイドルソングとしてのシズル感が三位一体となっている仕上がりは、まさにプロの仕事。メンバーの台詞の意味に引っ張られることなく、発語の響きの快感を極限まで突き詰めながらも、各メンバーの声に宿るキャラクター性を最大限に引き出す構成は、この「39CD」シリーズの中でも屈指のクオリティとなっている。 

そして何より、本曲のなかでSMAPはただひたすらに、明るく、楽しそうなのだ。それがとってもいい。

 「ライドオーン!」「ハッピーハピハピ」「ワクワクする~!」「マジ!?」「えす、えむ、えー、ぴー!」「ありがとうございましたー!」

tofubeatsのカラフルなサウンドに乗る彼らの声を聴きながら想う。SMAPはなくなった。その終わりについては、誰も(もしかしたら本人たちも)なにも整理できていないのではないか。

なんにせよ、なにかが終わるということはそもそも、わかりやすく納得できる結論など出ないものなのかもしれない。

ただ、そのピリオドが例え不本意なものだったとしても、SMAPの音楽がこの曲で終わったことは、本当に幸せなことだとも思う。で、それがこんなに入手しづらい形態でリリースされた企画モノの作品であることも、多くの人に聴かれる機会を損なってしまっている不幸はあるものの、そのなんだかシマらない風情にも、不思議と愛らしさを感じたりもする。

 

このトラックにはただただ音の中で楽しみまくっているSMAPの姿が、これでもかというほどチャーミングに記録されている。そのあっけらかんとした清々しさは音楽家としての彼らには本来とても相応しいもので、そんな曲が彼らのラストチューンになったというめぐり合わせは、音楽家としてのSMAPの本質のようなものを映し出しているような気すらするのだ。

できることならtofubeatsとガッツリ組んだ歌ものポップミュージックとしての新曲も聴いてみたかったが、それは遠い未来のお楽しみとして心の奥に留めておくことにする。

HELL DRIVER / THE GEROGERIGEGEGE

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ゲロゲリゲゲゲアンビエント作(1999年)


 日本のノイズユニットであるゲロゲリゲゲゲのパブリックイメージ(そんなのあるのかな)は「1,2,3,4のカウントで爆発」「掃除機でオナニーするおっさん」「単なるウケ狙いのしょうもないバンド」ってとこでしょうか。
 特にインターネットで検索すると上位には理解しがたい、「こんなの音楽なんて認めない」といような部分が目に付くかもしれません。
でもこのユニットのコアは、私的にではあるけれど、本当にきれいなものに思えます。

 

 ゲロゲリゲゲゲは作品のテーマに「自慰行為」を取り上げます(『Senzuri Champion』『Violence Onanie』等多数)。他者のいない性愛の爆発を乱暴に晒すことで作品に加速力をつけてきました。また、名盤と呼ばれる『パンクの鬼』は「~曲名~1,2,3,4」のカウントで5秒程度ノイズを演奏。その繰り返しで全75曲。
この時点で人によっては嫌悪感しかないでしょう。でもここで知ることをやめないでください。

 本作「HELL DRIVER」は上にあげたような直接的な性表現やハーシュノイズもありません。ライナーにもある通り(だとすると)山ノ内の家に出入りしていたピアノ調律士「大倉宏之」氏に捧げられた弔辞のような、個人的な作品とのことです。
 アルバムは1曲目『―――』緊張感と哀しみと呆然がごちゃまぜになった様な、でも異様に落着いたフィールドレコーディングから始まります。(環境音にもテンションがあるんですよ!)そしてピアノ曲、コラージュありのアンビエント曲、自作楽器の演奏と淡々と進みます。録音された年はバラバラでも一貫したテーマに基づいているためか、曲の印象にズレはありません。ひとりぼっちで夜の街を歩いているような、誰にも会わずに無言でいるような、そんな風景が浮かんできます。
演奏の後ろにある録音のノイズが不安の先にあるような落ち着きを与えてくれますね。
 
 ゲロゲリゲゲゲが扱う自慰行為の露出は、変態性のアピールというよりも自己完結の哀しみとか、疎外感の表現に使われていたように思います(下劣で強烈ではあるけれど)。そういう点で考えると、このアルバムにある感情はずっと表現してきたものを以前とは違う切り口で発表したものと言えるでしょう。
 本作は感覚的に激しい行為はありませんがストレートに感情を揺さぶってきます。
パロディとかレディメイドに依らない、素直な感情を表現したかったのかもしれません。

 世の中には孤独とか悲哀とかを表現する音楽がたくさんあります。きっと多くの人が共感を求めているからでしょう。でもそんな共感の輪にも違和感を感じてしまう人もいるんじゃないでしょうか。そういう人を受け止めてくれるやさしさみたいなものも、この作品には込められているかもしれませんね。

 

桜フルート / 池田若菜・谷口雄

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保守的なアートワークはともかく、J-POP以降の「桜ソング」「卒業ソング」を、フルートとピアノのみのインストゥルメンタル・アレンジで凛と聴かせる野心作。選曲は、超定番の福山雅治『桜坂』や森山直太朗さくら(独唱)』から、カラオケヒット常連のボカロ曲『千本桜』に活動再開後の宇多田ヒカル桜流し』まで、幅広い。

「奏者:2人」という制約が、かえって個々の演奏に高い自由度と闊達さを生んでいるように思う。主にフルートが原曲の歌メロを、ピアノがそれ以外を支える体制をとっていて、そこにときおり訪れる「役割交替」の瞬間はかなり高まる。また、スピッツ『チェリー』やレミオロメン『3月9日』では、バンドサウンドからのドラスティックな編曲の妙味を楽しめる。しかし編成こそ異なれど、どれも原曲の「聴き味」を忠実にのこしているので(例えば『チェリー』なのに妙にしんみりしたりせず、弾むような軽快さを担保してくれる )、そのあたりは腐心して作られたのではないだろうか。ラップパートのあるケツメイシ「さくら」、それから川本真琴aikoといったひと思いに言葉を連ねていくスタイルのヴォーカル曲などを、敢えて選んで挑戦するが如きフルートに、戦闘美少女的な(違うか…)心を打つものがある。

池田若菜(發展、元・吉田ヨウヘイgroup)と谷口雄(元・森は生きている)、東京インディ・シーンで引っ張りだこの両者を招集してイージーリスニングのCDを出す、という斬新な企画をいったい誰が考えたのか。さらに(分かる人には分かる付加価値だが)録音は宇波拓で、アレンジに佐藤優介も一枚かんでいる。彼らの参加作品をよく聴かれる方にも、もちろん流行歌に耳敏い方にも、春告げるこの音楽をお薦めしてみる。

Experimental Jet Set, Trash and No Star / Sonic Youth

エクスペリメンタル・ジェット・セット、トラッシュ&ノー・スター
 
オルタナの名盤に数えられることも多く、大きなセールスも記録した『Dirty』の次作となる、94年の作品。「ソニック・ユースの曲の中で一番の名曲は?」と訊かれて挙げられそうなのは、『Schizophrenia』とか『Teenage Riot』、『Dirty Boots』、『100%』というあたりだろうか。大曲嗜好の人なら『The Diamond Sea』とか『NYC Ghosts & Flowers』なんかも候補になるだろう。
 
《名曲》の例にもれず、上に挙げたような曲は、どこか突き抜けた感じがある。果てが見えない感じ、感動した自分がずっと遠くまでブッ飛んでいく感じ。言い換えれば、ソニック・ユースから離れても輝き続けるものがある、ということかもしれない。キッズがコピーしても同じ力がそこに宿って、光を放ち始めそうな。
『Experimental Jet Set, Trash and No Star』から受ける感動は、そういうのとはちょっと違う。突沸っぽくテンションが最高潮に達したようなハイではなく、安定した走行の中で感じたランナーズハイが続くみたいに健康的だ。スティーブ・シェリーのドラムが、前作『Dirty』のようにハードロック的に攻撃してくるよりも、スクエアにビートを作っている傾向にあるのが大きいんだろうか? ぶっきらぼうな言葉の羅列の中に、スーパーチャンク、レモンヘッズ、ハスカー・ドゥなどとバンド名が雑に挿入される#5『Screaming Skull』とかがいい例だが、ただ進んでいく感じの曲がすごく良い。ドラムが極端な緩急をつける『Bone』とか、ジャキジャキしたギターが主張的な『Waist』なんかよりも、さりげなく歌われていたり、淡々と展開する曲がこのアルバムの肝だと思う。
ラストナンバーの『Sweet Shine』は、キムのアンニュイと狂騒を併せ持ったボーカルの魅力が遺憾なく発揮された名曲。初めに挙げた代表曲群に優るとも劣らない。この曲が最後に来るギターロックのアルバムというだけで高く評価していいはず。通して聴いていて『Sweet Shine』にさしかかると、「眠りは死のいとこ」というナズのラップの一節をいつも思い出す。それだけスイートに眠たくなる。
隠しトラックが残す余韻もちょっと良い感じ。あれでアルバムの雰囲気が何となくまとまるのが不思議だ。